翌日、鳳翔は、珍しくデスクワークに励んでいた。昨夜の事件の報告書を作っているのだ。
十分間、悩みに悩んだ末に二秒で書き上げ課長のタップに送信する。
送信を確認するとそそくさと立ち上がりオフィスから出て行こうとする。
「鳳翔巡査! 待ちなさい!」
出て行こうとする鳳翔を冴子が呼び止める。鳳翔は、しぶしぶ課長のデスクに向かう。
「何でしょう?」
鳳翔が何で呼ばれたのかわからないといった表情で言った。
「これを報告書と認めるわけにはいきません。書き直しなさい」
冴子が厳しい顔で宿題の再提出を命じる先生のように言った。
「これ以上書く内容ないんですけど」
鳳翔が露骨に嫌そうな顔で冴子を見る。
「三行で報告がすむような事件を担当させたつもりはありません」
冴子がタップの画面を鳳翔に突きつける。
(事件の黒幕は、シンボリ・デ・ロッソという組織。
組織に誘拐されていた二人の子供を民間人の協力を得て無事に保護。
事件担当・ブラックハウンド機動捜査課巡査・鳳翔 刻。)
確かに画面には、三行しか映っていない。
「それに始末書の提出がまだです」
「ああ、始末書は、原版がありますから少しいじれば二秒で完成します」
あっけらかんと鳳翔が答える。反省の色はまったく無い。
「鳳翔巡査。始末書は、何の為に書くのか分かっている?」
冴子があきれたように問いただす。
「キャリアの中間管理職がストレス発散のために現場の人間を書類仕事でいじめるためです。
どこの警察にもあるの悪しき慣習です」
鳳翔が悪びれることなく堂々とオフィスに響く声で言い放つ。
オフィス内が緊張に満ちた静寂に包まれる。
「それが鳳翔巡査の見解というわけね」
冴子が抑えた声で言った。こみ上げる怒りを抑えているのかもしれない。
鳳翔が我が意を得たとばかりに大きく頷く。
「分かりました。君には、基本的な指導が必要ね。あかり巡査」
冴子に呼ばれたあかりがデスクワークを中断しやって来る。
「鳳翔巡査に報告書と始末書の書き方及び服務規程の指導を任せます。
身につくまで何度でもやり直しさせなさい」
冴子が落ちこぼれの学生に放課後に居残りを命じる教師のように厳しく言った。
「何じゃそりゃ!」
鳳翔が不満の表情を露にする。
「鳳翔巡査。しっかり学ぶように。あかり巡査が身についたと判断するするまでパトロール及びムラマサの使用は、禁止します」
「何の権限でそんなことができるんだ!」
鳳翔の文句に千早が指を三本上げる。
「鳳翔巡査。その理由は、三つあります。一つ目は、私があなたの上司だから。
二つ目は、あなたの更なる成長を期待して。そして三つ目は・・・」
冴子がにっこりと微笑む。
「私との約束を破った罰よ」
鳳翔が言い返せず沈黙する。
「あかり巡査。しっかりと鳳翔巡査を指導するように。以上です」
「了解しました」
あかりが敬礼しながら横目で鳳翔の様子を見る。
「鳳翔巡査。敬礼」
あかりがさっそく鳳翔に指導を入れる。鳳翔がしぶしぶ敬礼する。
「そういやコンビの件は、どうなるんですか?」
鳳翔が思い出したように口に出した。その言葉を聞いてあかりが身を硬くする。
「私は、事件を解決したらと言いました。鳳翔巡査」
「そうっすね」
鳳翔がうんうんと頷く。
「まだ事件は、終わってないわ。そうでしょう? 鳳翔巡査」
「私もそう思います。鳳翔巡査」
二人の意見に鳳翔がげんなりした表情を見せる。
「行きましょう。鳳翔巡査。みっちりと教えてあげますから」
あかりは、鳳翔をデスクに追いやると傍らに立ち指導を始める。
「なあ。俺、五時から予定あるんだけど・・・」
「わかりました。五時までに今日の分を全て完璧に覚えてください」
「勘弁してくれ・・・」
鳳翔が頭を抱え弱々しく呟く。あかりは、遠慮も容赦もなく鳳翔を厳しく指導していく。
(これで少しは、あの二人もコンビらしくなるでしょう。)
あかりと鳳翔の様子を見ながら冴子は、そう思った。
来栖は、DAKの呼ぶ声で目を覚ました。どうやら電話のようだ。
あれからアサクサのスラム街から新宿まで歩いて帰ってきたのだ。
事務所についた時には、精も根も尽き果てており倒れこむようにソファーで眠りについた。
毛布をソファーの後ろに投げソファーに座るとDAKに電話を取るように告げる。
画面に現れたのは、カンピオーネの支配人のトトだった。
「昨夜は、ご苦労様でした。来栖様」
「あまり大したことしてませんが」
「だいたいの話は、聞いております。ところで今日の午後より何かご予定は、ございますか?」
「何もありません」
確かに予定はない。そして財布の中身もない。昨夜より叢雲から連絡がないのだ。
来栖は、もうただ働きを覚悟している。冷蔵庫に入っているコッペパンを食べ尽くす前に次の依頼は、来るだろうか?
来栖の今の心配は、これだった。
「それでしたら五時にカンピオーネにいらしてください。叢雲様もいらっしゃいますので。依頼料は、その時支払うとのことです」
「わかりました! 絶対に行きます!」
来栖が喜びを露にして答える。
「お待ちしております。それでは」
一礼してトトが画面より消える。
「やった! これで飯が食える!」
来栖は、飛び上がって喜ぶ。これでしばらくは、貧乏ともおさらばだ。
来栖は、そのことがたまらなくうれしかった。
叢雲は、病院から退院するとロボタクを止めカンピオーネに向かった。
傷は、縫合されたが医師は、もしかすると傷跡が残るかもしれないと言った。
叢雲は、ため息をつき呟く。
「命があっただけよかったと思わなきゃ」
「確かに」
「その通りです」
「お嫁行く時困るけどNA!」
叢雲の呟きにIANUSの画面に現れた迷彩服姿の三匹の兎がそれぞれ同意を表す。
「ラッツ!」
真っ赤になりながら叢雲が兎の名を呼ぶ。
「おや? 真っ赤になったZE。婿候補は、誰DA?」
ラッツが笑いながら叢雲をからかう。
「パッキー! ボタ! ラッツを取り押さえて何処かに連れていきなさい!」
「Rog!」
パッキーとボタは、ラッツを乱暴に取り押さえると三匹ともIANUSの画面から消えていった。
ロボタクがカンピオーネの前に止まる。
料金を支払い叢雲は、ロボタクより降りる。
「いらっしゃいませ。お嬢様」
トトが入り口で叢雲を出迎える。そのまま叢雲は、レストランの中に入る。
待ち合わせの時間までまだ少しある。
「他のみんなは?」
「全員来られるそうです」
「・・・アズと連絡は?」
叢雲が不安そうにトトに尋ねる。トトが首を横に振る。
「そう・・・」
トトが叢雲を安心させるように言った。
「大丈夫です。お嬢様。スクデットは、そう簡単に死ぬような男ではありません」
「そうだよね」
「何かお飲み物をお持ちします。少々お待ちください」
トトは、一礼し奥に下がる。叢雲は、カウンターに座る。
トトが叢雲の前にそっとアイスコーヒーを置く。
「ありがとう」
叢雲は、コーヒーを飲みながら時間を過ごした。外から犬の唸り声のような音が響きカンピオーネの前で止まる。
叢雲が外に視線を向ける。
そこには、鋭角的なデザインのバイクから降りる鳳翔がいた。
そのままライダースーツ姿のままカンピオーネに入ってくる。
叢雲の姿を見つけると隣に座る。
「よう。お嬢ちゃん。生きてたか」
「はい」
「そりゃよかった」
トトが奥よりやって来る。
「いらっしゃいませ。鳳翔巡査」
「よう。昨日、頼まれた件やっといたぜ」
「それは、助かります」
「どうせ上司ってのは、こんな時にしか使い道がねぇんだ。
せいぜい役に立ってもらわねぇとな」
「頼まれた件って何?」
トトと鳳翔の会話を聞いていた叢雲が尋ねる。
「それはなぁ・・・」
「秘密です。お嬢様。後のお楽しみです」
鳳翔が話そうとしたところをトトが先んじて止める。
「鳳翔巡査。お飲み物は、何がよろしいですか?」
「バドワイザー。よく冷えたやつ」
「かしこまりました」
時間ぴったりに来栖もカンピオーネにやって来た。走ってきたのか息が切れている。
「お前・・・死んでなかったか?」
鳳翔が幽霊を見るような目つきで来栖を見る。
「まだ生きてます。神と悪魔に嫌われてますから死んでも天国にも地獄にも行けません」
鳳翔の言葉に来栖は、息を切らせながら答える。
「探偵さん。これ報酬と危険手当のニシルバー」
叢雲が財布から二枚のキャッシュを取り出す。来栖がうれしそうにニシルバーを受け取ると大事そうに財布にしまう。
「来栖様。お飲み物は、何がよろしいですか?」
「・・・水」
「来栖様。費用の心配なら必要ございません」
前と同じくトトは、来栖に耳打ちする。
「・・・任せます。アルコール以外で」
トトは、一礼して奥へ下がる。
しばらくしてトトが鳳翔に冷えたバドワイザーを来栖にアイスコーヒーを持ってくる。
「今日は、いったい何の集まりなんですか?」
飲み物が来てから来栖が尋ねる。叢雲が首を振る。
「ボクも知らない。鳳翔巡査は?」
口の周りについたバドワイザーの泡を口でぬぐいながら鳳翔が答える。
「祝勝会だろ」
「そうなの?」
叢雲がトトの方を見て尋ねる。
「いいえ。今日、みなさんにお集まりいただいたのは・・・」
トトが話し出そうとした時、レストランの扉が開いた。
「すまない。遅れた」
そこに立っていたのは、白いコートに身を包み青いロングマフラーを首に巻いた男だった。
「トト。まだパーティーに入れてもらえるかな?」
「もちろんでございます。スクデット」
「アズ!」
叢雲が立ち上がりアズーリに飛びつく。
アズーリがたくましい胸に叢雲をしっかりと抱きとめる。
「生きてたんだね」
叢雲は、うれしそうにアズーリを見上げる。
「少々手間取ってしまった。心配させてすまない」
鳳翔が二人の様子を見てアズーリに見えるように右手のジョッキを掲げ一気に飲み干す。
来栖は、気まずそうに二人から目をそらしながらアイスコーヒーを飲んでいる。
「そろそろ離れてくれるか?」
「あっ。うん。ごめん」
アズーリの言葉に真っ赤になった叢雲がゆっくりとアズーリの胸から離れる。
「トト。俺には、赤ワインを」
「かしこまりました。これで全員そろわれましたな」
トトが奥に下がりアズーリは、椅子を引いて叢雲を座らせてから自分も席につく。
トトが奥から銀盆に赤ワインのボトルとワイングラスを載せやってくる。
その後ろに少年と少女が一緒に歩いてくる。ロッソとネロだ。
トトが赤ワインとグラスをアズーリの前に置く。
「今回のパーティーのホストは、この子達です。皆様にお礼がしたいとのことで」
ロッソとネロは、それぞれウェイターとウェイトレスの制服を身につけている。
二人とも白と黒を基調にした制服がよく似合っている。
「ああ。そうだ。二人とも市民IDが発行されるから安心しろ」
鳳翔が二人に告げる。
「ありがとうございます」
言った言葉は、同じだがロッソは、無表情でネロは、うれしそうに礼を告げた。
「それで名前どうする? ロッソとかネロでいいんならそれでやらせるけど」
二人が考え込む。
「何か違う名前がいい」
ロッソが相変わらず無表情に告げる。
「で、何か自分でつけたい名前は、あるのか?」
「特にこれといって思い浮かびません」
鳳翔の問いにネロが困った顔で答える。隣でロッソが無言で頷いている。
「探偵。仕事だ。考えろ」
「ええっ。俺ですか?」
いきなり話を振られ来栖が驚きの声を上げる。
「頭脳労働は、探偵の仕事だ」
鳳翔は、言い切るとジョッキを傾ける。
本当は、あかりに勉強させられてもう頭を使う気にならないだけだ。
来栖が考え込む。いくつか名前が思い浮かぶがピンとこない。
考え込む来栖より早く叢雲が言った。
「・・・アンジェリカとクリスティアンってどうかな?」
「とても良い名前です。お嬢様」
叢雲の提案にトトが答える。
「そうなの? 何となく思いついたのを言っただけなんだけど」
「イタリア語の意味は、天使と救世主です。この二人には、よく合っていると思います」
「私は、それでいい」
「僕もそれでいいです」
ロッソとネロが言った。
「では、鳳翔巡査。二人の名前は、アンジェリカ・マルディーニとクリスチャン・マルディーニということでお願いします」
「わかった。ところでマルディーニって名前は、どこからきたんだ?」
「私の本名のアントニオ・マルディーニからです。二人を引き取ることにしましたので」
「なるほど」
トトの説明に鳳翔は、納得し頷きアズーリは、苦笑する。
「娘と息子がもう二人増えてもどうということはないということか? トト」
「その通りです。スクデット」
「どういうことなの?」
二人の会話の意味がわからず叢雲が尋ねる。
「私にも愛に身を焦がした時代があったということです。お嬢様」
トトが微笑む。叢雲がきょとんとした表情でトトを見る。
「さて。料理をお持ちしましょう。みなさん。奥のテーブルにお移り下さい」
全員が席に着き料理がテーブルに次々と置かれていく。
「今日は、食いだめするぞ!」
来栖が一番に料理に飛びつき次々と皿を空にしていく。
クリスティアンが空になった皿を次々と下げ新たな料理を来栖の近くに置いていく。
「大ジョッキお代わり! 面倒だ! あるだけ持ってこい!」
鳳翔が早いピッチでジョッキを空にしていく。かなりできあがっているようだ。
無表情にアンジェリカが新たに持ってきたジョッキを鳳翔に手渡す。
「お嬢様。頼まれていた品物です」
「ありがとう。トト」
叢雲がトトからリボンのかかった小箱を受け取る。
立ち上がり両手に持った小箱をアズーリに差し出す。
「これ、あの時のお詫び。受け取って」
アズーリが無言で小箱を受け取る。
「開けてみて。トトに頼んでアズの好物を選んでもらったんだ」
アズーリがリボンを解き小箱を開ける。
中から出てきたのは、瓶に入った茶色のクリームだった。
「ヌテッラか。懐かしいな」
「ヌテッラって?」
「チョコレートとナッツのクリームだ。子供の頃、親の目を盗んで食べるのが一番の楽しみだった」
アズーリが過去を懐かしむように手に持ったヌテッラの瓶をゆっくりと回す。
「アズってどんな子供だったの?」
「普通の子供だった。運命の意味を知らなかった唯一の時間だった」
アズーリがヌテッラを机に置き赤ワインをグラスに注ぐ。
「アズ。ボクにも頂戴」
アズーリが叢雲の言葉に驚きの表情を見せる。叢雲が子供のように口を尖らせる。
「ボクだってお酒くらいたまに飲むよ。それに今日は、いい日だから飲みたいんだ」
アズーリがトトが持ってきたグラスに半分ほどワインを注ぎ叢雲に渡す。
「ねぇ。乾杯しよ」
「何に対して?」
「クリスとアンジェの運命が変わったことに」
叢雲の言葉にアズーリが微笑みグラスを掲げる。
叢雲が自分の持ったグラスをアズーリのグラスに軽く当てる。
澄んだ音が店内に響いた。
新たな運命を告げる鐘の音のように。
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