ヒドゥンタイガーの目の前に叢雲の無防備な背中がある。
ヒドゥンタイガーは、自分を撃った相手を確認するためやじ馬の中に隠れた。
現れたのは、外見が十代後半、片手にスナイパーライフルを持ち黒いスーツを着た女だった。
射撃の腕は、見事だがヒドゥンタイガーから見ればまだまだ未熟な点が多い。
無防備に背中をさらしている点が経験不足を表していた。
(いいものを持っているが残念だったな)
ヒドゥンタイガーに自分を狙ってきた相手を生かして帰すつもりなどなかった。
敵対した者は、必ず潰す。これがヒドゥンタイガーが今日までトーキョーN◎VAの闇の中で生き残ってきた方法だった。
右手本来の爪にかぶさるように特殊鋼の爪が生えてくる。
この特殊鋼の爪でヒドゥンタイガーは、幾多の人間を暗殺してきた。
首の動脈に狙いをつける。腕を叢雲の首筋に伸ばす。突然、腕が伸びなくなる。
背後から伸びてきた青いマフラーが肘に巻きついている。
マフラーは、万力で締めつけるように肘を圧迫してきた。
「ぐっ」
ヒドゥンタイガーは、苦痛のうめき声をあげる。そのうめき声を聞き叢雲が振り返る。
「ヒドゥンタイガー!」
叢雲は、ヒドゥンタイガーに気づき慌ててLR67を構え照準する。銃爪を絞る。
銃声と共に弾丸がヒドゥンタイガーに向かって放たれた。
ヒドゥンタイガーの体が宙に飛ぶ。
地面に落ちた時には、心臓の部分に穴があいておりそこから鮮血があふれていた。
肘に巻きついていたマフラーが蛇のように動き持ち主の元へ戻る。
「あの・・・助けていただいてありがとうございました」
叢雲は、マフラーの持ち主の男に頭を下げる。
男の顔は、彫りが深くミラーシェードをかけている。
首には、青いロングマフラーを巻きつけ両端を左右の肩の後方に流している。
男の体は、コートの上からでも鍛え上げられたものだとわかる。
白いコートの胸の部分には、右から縦に赤、白、緑の三色の色に分けられた小さな盾の紋章が縫いつけてあった。
「気にすることはない。依頼を果たしただけだ」
「依頼?」
叢雲が首をかしげる。
「三匹の迷彩服を着た兎から君を守って欲しいという依頼を先ほど受けた。
報酬は、1ゴールド」
どうやらあの三匹の兎は、ヒドゥンタイガーが死んでないことに気づいていたようだ。
それなら即座に自分に連絡したらいいものを勝手に助けを頼んだらしい。
しかも依頼の報酬が1ゴールド。賞金と同額ということは、今回の儲けは、一切ない。
ただ働きだ。その事実に気がつくと叢雲の心は、賞金首を倒した達成感が消え去り三匹の不満が湧き上がってくる。
「口座の番号は、あの兎達に教えてある。後で振り込んでおいてくれ」
そう言うと男は、この場から立ち去ため歩き始めた。
「ちょっと待って」
慌てて叢雲が男を呼び止める。男は、足を止め叢雲の方に振り向いた。
「まだ何かあるのか?」
「ボク、叢雲 空って言います。よかったら名前教えて」
「アズーリ。呼びにくければアズでいい」
「じゃあ。アズ。依頼を引き受けたってことは、今日一日は、ボクを守ってくれるんだよね」
アズーリがしばし考え込む。
「期限の指定は、特になかった。君がそうして欲しいならそうしてもいい」
その言葉に叢雲は、満面の笑みを浮かべる。
「じゃあ、今日一日守ってくれる?」
「いいだろう」
アズーリが頷く。
「やった。じゃあ、今すぐバウンティハンター協会に連絡して賞金貰って報酬渡すから。
今日一日ボクのことしっかり守ってね」
叢雲は、うれしそうにポケットロンを取り出しバウンティハンター協会の番号を押し始めた。
叢雲は、賞金を貰った後、ロボタクを呼び止めアズーリを連れてアサクサの観光地へと向かった。アズーリの仕事は、護衛というより観光ガイドといった方が
適切だろう。
叢雲は、わからないものがあるとそのたびにアズーリに尋ねてきた。
その一つ一つにアズーリは、子供に教えるように丁寧に答えた。
叢雲があまりに世間知らずなことを疑問に思ったアズーリは、そのことを叢雲に尋ねた。
叢雲は、寂しそうに笑いながら答えた。
「ボク、記憶喪失で一ヶ月以上前のことを覚えてないんだ。
今まで仕事以外で外に出たことないからこうやってN◎VAを歩くの初めてなんだ」
「そうか。すまなかった」
「あっ、あやまらなくても大丈夫だよ。これでも結構楽しく暮らしているんだよ」
叢雲が慌てて手を振る。
「そうか」
「でも人と知り合う機会があまりないからさっき無理言ってアズを引き止めたんだ。
迷惑だった?」
「いいや」
「そう、よかった」
それっきり二人の間でこの話題について話すことは、なかった。
その後もアズーリは、黙々とガイド役を続けた。
そして日が暮れ始めたころには、アサクサのほぼ全ての観光地を回り叢雲は、満足そうな表情を見せた。
「今日は、ありがとう。とても楽しかったよ」
「ああ」
「じゃあ、この辺りで依頼終了かな。ボク帰るね」
叢雲は、そう言うとロボタクに自分の家の住所を入力する。
「夕食の予定は決まっているか?」
アズーリの突然の言葉に叢雲は、きょとんとした表情になる。アズーリが言葉を続ける。
「イタリアンでよければいい店を知っている。それにまだ依頼終了まで時間がある」
ようやくアズーリの言葉を理解し叢雲は、微笑み
「じゃあ、そこでいいから連れて行って」
「わかった」
アズーリが叢雲の入力した住所を取り消しロボタクにレストランの住所と名前を入力する。
ロボタクは、レストランへと走り出した。
新麻布十番街は、トーキョーN◎VAの中でも上流層が住む高級住宅街である。
洗練された住宅街の中に目的のレストランは、あった。
落ち着いた外観によく似合った木の看板にアルファベットでカンピオーネと刻んである。
どうやらレストランの名前のようだ。
N◎VAの公式語であるニューロタングとは、別の言語らしく叢雲には、この言葉の意味は、わからなかった。
アズーリがドアを開け叢雲を招き入れる。
客の姿は、まばらで静かに落ち着いたリズムのジャズが流れている。
アズーリは、カウンターに向かうと椅子を引き叢雲を座らせた後、叢雲の右側に座った。
叢雲が珍しそうにきょろきょろと店内を見回す。
「よく来るんですか?」
「ああ」
初老の落ち着いた雰囲気のウェイターがメニューと水を運んできた。
水をカウンターに置きメニューを二人に手渡す。ウェイターがアズーリに話しかける。
「スクデット。二人でお越しとは、珍しいですな」
「トト。仕事の最中だ。彼女は、護衛対象だ」
「それは、失礼いたしました」
「スクデットって?」
二人の会話に再び聞きなれない単語を聞いた叢雲は、アズーリに尋ねた。
どうやらアズーリの呼び名らしい。
「俺のあだ名だ」
それだけ言うとアズーリは、言葉を続けず見かねたトトが言葉を付け加えた。
「意味は、名誉の盾でございます。お嬢様」
「何語なの?」
「イタリア語です」
「おじさんは、アズの友達?」
「そうですな。長い付き合いになります」
昔を懐かしむようにトトは、目を細める。
「アズもおじさんもイタリアの人?」
「そうです。お嬢様。私のことは、気軽にトトと呼んでください」
「じゃあ、トトもボクのこと空でいいよ」
「それは、いけません。お嬢様は、スクデットの連れてきた大切なお客様です」
「トト」
アズーリが咎めるようにウェイターの名前を呼ぶ。
「失礼しました。私としたことがおしゃべりがすぎました」
トトは、その場で軽く頭を下げる。
「トト。メニューは、任せる。君は?」
「うん・・・。ボクも任せます」
「かしこまりました」
メニューを二人から受け取るとトトは、奥へと下がっていった。
二人の間に気まずい雰囲気が流れる。
しばらくしてトトがチーズと生ハムのサラダが二人の前に運んできた。
叢雲は、半分ほどサラダを食べたところでその手を止めた。
「アズ。過去のこと聞かれるの嫌い?」
「いや」
「聞いてもいい? アズの過去のこと」
「聞かせるほどの過去は、持っていない」
「それでも聞きたいんだ。ボク・・・自分の過去のこと知らないから」
叢雲が寂しそうな表情を見せる。
「君が聞きたいことを聞いてくれ。自分から話すのは、得意じゃない」
「うん。じゃあ・・・」
叢雲は、質問を始めた。そのつどアズーリは、答えていった。
ただ家族のことを聞かれた時は、何も答えず無言だった。
話しながら食事は、進んでいく。
「アズは、なんでボディガードをしているの?」
叢雲は、グラスに入ったオレンジジュースに浮いている氷をストローで回しながら尋ねた。
「そうなる運命だった。そう思っている」
アズーリは、紅茶の表面に写る自分の顔を見つめながら答えた。
叢雲は、アズの横顔を見つめたがミラーシェードに隠れた顔からは、何の感情も見ることができなかった。声は、今までと変わらず淡々としている。
「運命って変えられないのかな? アズは、どう思う?」
「運命に抗うことはできる。抗った後、運命が変わったと心から信じられるならば運命は、変わっている」
「そうなのかな」
叢雲がストローに口を当てオレンジジュースを飲む。
「そうだといいな」
叢雲は、喉を潤し明るい声でアズーリの言葉に同意を示す。
「これが最後の質問なんだけどいい?」
「ああ」
「その青いロングマフラー特別製? どうしてあんな風に人に巻きついたの?」
アズーリが苦笑する。
「別に種も仕掛けもない。少し武術を学べば君にもできる」
「そうなの? ちょっと触らせて」
「すまない。仕事道具なんだ」
伸ばした叢雲の手をアズーリは、そっと押し戻す。
「もしかして大切な物だった?」
アズーリは、その質問に答えず紅茶を口に運んだ。トトが奥より姿を現した。
「これで本日のコースは、終了です。お味は、いかがでしたでしょうか? お嬢様」
「とてもおいしかったです。また来ます」
「ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします」
叢雲は、自分の分は、自分で支払おうとしたがアズーリは、それより早く二人分の料金をトトに支払った。
「あの・・・」
「俺が誘ったんだ。俺の奢りでいい」
アズーリは、そう言うと椅子から立ち上がった、
叢雲が立ち上がり入り口まで共に歩いていく。トトが深く礼をする。
二人は、ロボタクを呼び止め乗り込んだ。
新麻布十番街から中央区の叢雲の自宅まで十分とかからない。
自宅前にたどり着くとまずアズーリが降りそれから叢雲は、降りた。
「今日は、本当にありがとう」
アズーリは、叢雲に一枚のメモを手渡す。
受け取るとそこには、ポケットロンの番号が書いてあった。
「これは?」
「俺のポケットロンの番号だ。依頼がある時は、かけてくれ。繋がらない時は、
カンピオーネかナイトワーデンにかけて俺の名前を言えば繋ぎをつけてくれる」
ナイトワーデンは、このN◎VAで護衛斡旋業を一手に担っている企業だ。
超一流のボディガードが立てた企業でここから派遣される護衛は、多くの人々から信頼を得ている。
「うん。ありがとう。できれば今度は、格安で引き受けてくれるとうれしいな」
叢雲は、照れたように笑いアズーリに別れの挨拶を言うとマンションに入っていった。
この夜、叢雲を心配してDAK内に現れた三匹の兎は、こっぴどく怒られると同時にほめられるという奇妙な仕打ちをうけた後、いつ終わるかわからない叢雲の
おしゃべりにつきあわされるはめになった。
アズーリは、叢雲と別れた後、再びレストラン・カンピオーネに戻った。
カウンターに座ると奥からトトがやってきた。
「トト。仕事は、終わった。一杯飲ませてくれ」
「かしこまりました。赤ワインでよろしいですか?」
「ああ」
トトは、一礼すると奥へと戻った。
しばらくしてワイングラスと赤ワインを持って戻ってきた。
トトが洗練された手つきで赤ワインをワイングラスに注ぐ。
「トト。彼女に俺の連絡先を教えておいた。もしこちらに連絡があったら俺の所へ回してくれ」
アズーリが淡々とした口調で告げワイングラスを持ち上げる。
「かしこまりました。スクデット。しかしあなたが一回の仕事で連絡先を教えるとは、珍しい。
さては、偉大なるスクデットの後継者にしてファンタジスタのあなたも時に魔法にかかることもあるのですかな」
トトが冗談めかした口調で切り返す。アズーリは、動じることもなくワインを飲む。
ワイングラスの中のワインを半分程にした後、ワイングラスをカウンターに置いた。
「ただ仕事の顧客を増やしただけさ。それに俺に魔法は、通じない。あの時からな」
そう言うとアズーリは、ワイングラスを空にした。
「そうでしたな」
トトは、再びワイングラスにワインを注いだ。
「空様は、あの方に似ておられますな」
アズーリは、トトの言葉に答えずただワインを喉に流し込んだ。
「トト。後は、一人で飲む」
「かしこまりました」
トトは、一礼してレストランの奥へと立ち去った。それを確認した後、アズーリは、
ワイングラスに写った自分の顔を見つめながら小さく呟いた。
「そうかもな。これも運命か・・・」
シーン3 “アルテミス”〜記憶喪失の女狩人〜に戻る
シーン5 猟犬の帰還と委員長の受難に進む
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